僕の仕事は水曜と日曜がお休みで、職場が入ってる施設が第3月曜が休みなのでたまに月曜がお休みで、先週の水曜は休みだったところを用事があって勤務してたら明日が休みになっていて、つまるところ昨日今日明日の3連休なのです。
少し前から「思い付いては作ってたGPTをまとめとこう」と思ってたので、これを機にブログにまとめることにしました。が、GPTを簡単に紹介する記事を並べるだけのつもりが毎度のことだけど余計なことをいろいろ書いてしまい、なんだかだらだらした内容になってしまったのでした。誰も求めてないのにね(なんとなくここ、ゆっくりボイスがゆっくり流れてる印象)。
そんなわけで特に誰も求めてないものを丸一日やっていて、でもそれはそれで楽しくはあって、充実していたような、空しいような。
はたから見ると、充実してるじゃんと言われるんでしょうし、僕も他の人にだったら、充実してるじゃんと言うのでしょう。
そこで、充実している状態をFと置きます。fulfilledですね。
空しい状態はEです。exhaustedでも良いですが、普通にemptyにしましょう。
充実してたし、空しくもあったというのは、
F∧E
となりますね。
ただ、「充実している」というのは「中身が詰まっている」状態です。そして「空しい」というのは「中身が詰まっていない」状態ですから、
E⇒¬F
であり、
F∧¬F
となるので、矛盾します。
これは、Fという「中身が詰まっている」状態が少しでも欠けると、つまり¬Fとなってしまうと、充実していないということになります。
が、「少しでも欠けると」という状態が、実際に生じるでしょうか?極限を考えた場合、収束するのでしょうか?
ここで逆に、
E∧¬E
を考えてみます。
さきほどと同様に考えると、Eという「中身が詰まっていない」状態が少しでも欠けるとどうなるか、ということを考えることになります。
「中身が詰まっていない」状態が少しでも欠けている状態、つまり完全に「中身が詰まっていない」状態は¬Eですが、ここでも考えてみましょう。
そこには、本当に何もありませんか?
何かが入っていませんか?
ゆらいではいませんか?
だとすると、¬Eは存在しません。
¬E≡⊥
なのです。
ですから、Fに目注目するのではなく、Eに注目しましょう。
Eを観察しましょう。
本当に空しいだけなのか。
「中身」は本当に何も「詰まっていない」のか。
もう一度書きます。
「中身」は「本当」に「何」も「詰まっていない」のか。
そう考えると、つまり自分の中の空しさを観察すると、そこには欠けるものが見つかるでしょう。
空しさが欠けるということ、それが¬Eなのです。
空しさは、存在しないのです。
「空しさ」は、「存在」し「ないの」で「す」。
などと、休みの日に、しかも明日も休みという余裕の気持ちの中で、適当によくわかんないことを書き連ねているのは、とても充実した気持ちになりますね。
おやすみなさい。
あ。
もともとはGPTのブログの紹介をしようと思ってこの日記書いたんだった。
また今度書きます。