萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

ナンシー関さん

ナンシー関さんが亡くなってから今日で4年になる。前回のワールドカップイヤーだったわけだ。

その連絡を最初に受けたのは亡くなられた日の午前5時ごろ、携帯の留守電だった。事務所の方がナンシーさんが亡くなった旨を連絡してくれたのである。朝起きてその留守電を聞き、現実感に乏しいまま会社に行き、しばらくするとヤフーニュースでニュースになり、公式サイトであるボン研究所にリンクを張られたようでサーバが膨大なアクセス数で大変なことになった。ボン研はうちの会社で管理をしていたのでその対応でいろいろやってるうちにその日は終わった。

うちに帰ってふうとひと息ついていると急に現実感がこみ上げて来て、「ああ、ナンシーさん死んじゃったのか」と思った。

で、なんか泣けてきたのだけど、最初は僕が泣くのはなんかヘンな気がして泣くのを我慢してた。なのだけど、一緒にボン研も作ったし、「殴って殴って河村隆一」も作ったし、「びっくり一茂」も作ったし、多少は一緒にやらせてもらったんだから僕が泣いても良いのかなという気になってきて、そう思ってしまうとそこからは早くて、夜中の3時だというのに声を上げて泣いてしまった。

とかいう内容の日記を4年前にtDiaryで書いたら2chでリンクをされたようでいつもより多くの人が当時の僕の日記ページを見に来てくれて、それは良かったのだけど運が悪いことにデータが飛んだ。だからせっかく思いを込めて書いた日記だったのだけどそのときのデータは手元にはない。まあそんなことを悲しんでるとナンシーさんに「萩原さんそれは痛い」と言われそうなので良いと言えば良いのだが。スキンヘッドを剃らずに1ヶ月ほどほっといて不精ハゲになったときは「萩原さん、それ意味出ちゃいますね」と言われたこともある。ちなみにデータが飛んだのはtDiaryが悪いわけではなく、僕が借りてたプロバイダのNFSの設定のせいだと思う。どうでも良いけれどtDiaryの作者であるたださんとは、僕が司会をやった知り合いの結婚式でお会いしたことがある。

と、どんどん関係ない方向に話がズレて行くのだけれど言いたいことはただひとつ。

いつも心にナンシーを。