萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

地震

突然ガタガタと揺れだしたときは、一体何が起こったのかと。というのも、僕が実家の佐賀県にいたころは地震になんてあった記憶がなく、ちょうど前の日にも、「こっちは地震なくていいよねえ。東京はたまに揺れるから泣きそう」とか、そんな話をしていたところだったのだ。高所恐怖症な僕はいろいろ恐怖症でもあるわけで、当然というか何というか揺れにもものすごく弱く、ちょっと揺れると心臓バクバク、うっすら涙を浮かべるようなありさまなのである。

そんなわけでガタガタと揺れが始まり、木造のおうちがイヤなくらいミシミシと音を立て始め、テレビの上のものやタンスの上のものが床に落ち始めたのを見て、「なんてこと!」と思ったのです。たまたま、本当にたまたま、最近『「震度7」を生き抜く―被災地医師が得た教訓 (祥伝社新書 (003))』とか『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』とか『12歳からの被災者学 阪神・淡路大震災に学ぶ78の知恵』を読んでいたせいもあり、泣きそうになりながら玄関へと走り、脱出路を確保して一度中に戻り、「外出た方がいい!」とか叫んだりしました。というのも、本当に地震がない土地柄だし、86年だっけな、それ以前に建てられた木造家屋なので、耐震構造になんて、なってるはずがないわけで。で、外に出てみると電線がブルンブルンしなってるし、「イヤー!」っと。それでも、ここは地震が起きる土地じゃないという頭があり、「ひょっとしたら、バカでかい地震が起きたのでは?東海地震東南海地震→南海地震の連鎖で」との思いが頭をよぎる。「みんな大丈夫か?」と。で、「みんな大丈夫か?」と思った瞬間に「遠い空の下にいるみんなの心配する前に木造住居の中にいるうちの家族の心配しなきゃ」と気がつき、揺れがおさまったおうちに戻ってみると家族はNHKを見ていて、どうやら玄界灘震源で、福岡と佐賀で震度6弱らしいと。僕がいた佐賀市は震度4らしいと。「そうかあ、あれで震度4なのかあ。やっぱり一度地震体験館とかに行って震度7の揺れとか体験しとかないと、何かのときにショック死するかもしれん。しかし東海地震じゃなくてよかった」とひとり思いにふけっていたら、「ひとりでまっさきに逃げるんだから」と妻に怒られた。たしかに、妻や母や妹や生まれたばかりの妹の子(今回この赤ちゃんの顔を見るために帰省した)を置いてひとりで玄関に走りましたね、僕。それにどうやら地震があったからってすぐに外に出てはいけないらしいですね。つーか読んだ本にもそう書いてありましたね。別の本に「地震が起きてもパニックが起こったりしない。むしろひとり取り乱すのが恥ずかしくて必要以上にまわりの空気を読んでしまう結果最悪の事態になることが多い。韓国の地下鉄の放火で多数の死者が出たのなどはその典型だ」って書いてあったんで、自分に素直になりすぎました。ごめんなさい。いや、つーか、逃げたんじゃなくて、脱出路を確保しようかと思った行動だったわけで・・・。はい。ごめんなさい。

さて、今回の帰省は、妻の実家である鹿児島にも行く予定だったのだけど、揺れがおさまってテレビを見ていたら「JR各線は運行を中止しています」とのこと。あら。そういえばそうか。14時に佐賀駅に行って電車乗るつもりだったんだけどどうしよう。まあいろいろ悩んでみても仕方がないしというわけで、テレビで運行を再開し出したという情報が流れ始めたのを機に、JRに電話で問い合わせをしてみる。「あのー、佐賀から鹿児島まで行く予定で、鳥栖からかもめに乗る予定だったんですけど。ええ、はい。久留米から先は動いてるって話なんですけどそうですよね?なるほど。ダイヤなんて乱れまくりですよね?ああ、そうですよねえ。はい、わかりました、来たのに乗ります」という会話をかわし、じゃあってんで、父にお願いして久留米駅まで車で送ってもらうことに。で、久留米駅で降ろしてもらい「ありがとちゃーん」なんて言いながら(言ってないけど)改札に向かったところ「地震の影響により全線運転を見合わせております」との貼り紙が。あらまあ。念のため駅員さんに「電話で聞いたら久留米から先は動いてるって話だったんですけど」と聞いてみたところ「動いてないですよ。だって電車がないから。熊本ぐらいまで行かないと動いてません」とのお返事。問い合わせ担当の姉さんのうそつき。ま、混乱してるだろうし、仕方ないけどね。てなわけで、急遽父に電話し、再度久留米まで戻ってきてもらう。が。携帯がつながらない。ああ、災害時ってそういうことなのね。でも、大丈夫。うちの奥さんはPHSだから。PHS、加入者少ないから、バンバンつながるから。というわけで、一度父に久留米駅まで戻ってきてもらいつつ、僕らの帰省に合わせて鹿児島に来る予定だった、熊本在住の妻の妹にも電話して事情を説明。最初は、妻の妹に久留米まで来てもらうつもりだったのだけど、久留米まで戻ってくれた父と相談し、熊本まで父に送ってもらい、元々車で鹿児島まで行く予定だった妻の妹に、熊本から便乗させてもらうことにした。結果的にはこれが正解。熊本から福岡に向かう高速は大渋滞。妻の妹に久留米まで来てもらっていたら、何時間待つことになるかわからなかったです。というか、熊本まで僕らを送ってくれたうちの父は、佐賀まで戻るのにものすごく時間がかかったみたい。申し訳ない。

とっぷりと日も暮れた20時ちょい前に鹿児島に到着。300年ぶりの規模(と確かテレビで言っていた)の地震にたまたまいあわせた偶然に驚きつつ、災害の間隔が長いから、火山やら地震やらって、対策が難しいんだよなあと、そんなことを思ってみたりもした。亡くなった方もいるようで、「地震慣れ」してなかったことも影響あるかなとも少し思う。ご冥福をお祈りします。

あまりこういう話題を書くの得意ではなく、たとえばこないだの新潟の地震のときなんかも、あえて何もふれなかったりしていたのだけど、さすがに自分がいあわせて書かないのも何なので書いてみました。あ、それから「大丈夫?」と連絡くれた方々、どうもありがとうございました。