萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

NHKラジオ 中国語講座、それから、いろいろ語のこと

なんか語学オタクみたいですが。

テレビと同様10月から新開講のラジオ講座、前回は後半ダレてしまってあまり聴けなかったので反省。あと目標が高すぎるのはナニなのでハングル講座はデフォルト休み的スタンスで。

なのに。

中国語講座、最初はどうしても声調やら発音やらが中心で「ま、これくらいはねー」と軽いノリで流してたら、早くも意外と進んだ話になってて焦る。「都不〜」は全否定で「不都〜」は部分否定とか(レベル低いのバレるやね)。せっかく今回のネイティブのお相手役は、あの素敵ボイスの呉志剛さんなのに。

ちなみに、いま丁度、中国語勉強しようと思ってから1年ぐらい。

もともとは、某ミュージシャンの人の中国語サイトに置くメールフォームのプログラムをお仕事で頼まれて、「えーと、じゃあ中国語でメール送るってことね。ん?てことは、文字コード何?」みたいな感じでBig5もGB2312も知らない状態だったのだけど、『文字コード超研究』を読み、ちょっと物足りなかったので『CJKV日中韓越情報処理』を読んだところこれがいままで読んだ技術書の中で最高の面白さで。日本語扱うプログラム書く人で読んだことがない人は、是非読むと良いですよ、ほんと。かなり分厚い本で、えーとノベルズ版の『コズミック (講談社ノベルス)』の厚さの1.5倍と言えばわかる人はわかるかな。その分厚い本を電車の中で読み、周囲の視線的には軽い変態の雰囲気を醸し出しても気にならないぐらい、そのぐらい素敵な本だったわけ。

だったら、せっかくだし中国語勉強してみようと。最初は「発音なんか不要だ!」みたいな本で勉強を始めたものの、すぐに「発音ちゃんとやらないと日本語で漢字を読んでしまってアタマが外国語モードにならん」ということに気がつき、『発音の基礎から学ぶ中国語』という真逆の本を購入、それからは楽しくやっている次第なのである。

たまたまなのだけど、このちょっと前に禅を世界に広めた鈴木大拙の『新編 東洋的な見方 (岩波文庫)』を読んでいたせいで、「東洋的なこと」ひいては「日本的なこと」について少し考える機会があり、そこから「日本語ということ」までは距離として短くて、「日本語ということ」を考えるようになると外国語を学ぶのも楽しくなるというかそのまた逆もそうだったりするというか。中国語勉強しようと思った直後ぐらいに『外国語としての日本語その教え方・学び方 (講談社現代新書)』という、これまた素敵な本と出会えたのも良かったかな。

というわけで、中国語だけではなくて、韓国語やらアラビア語やらスワヒリ語やらモンゴル語やらルーマニア語やらスペイン語やらロシア語やら、語学の本が一挙に増えたのであります(あ、スペイン語の本は所有)。あなたの予想通り、ちらっと読んだだけで、ちっとも話せませんがね。

ただ、いろいろ語を学ぶと、とても良いことがある。それは「変な言葉」というのがなくなること。特に最近はCD付きの本がほとんどなので、「ヒトは、いろんな音が出せるんですねブラボー」と、純粋に楽しい気持ちになってくるのだ。もちろん問題もひとつあって、街を歩いてるときにふと聴こえてくる音が、一瞬何語かわからなくなること。散々「あれ?いまの何語?」と思ってたら、ふつーに日本語だったり。

いまも世界のどこかで、いろいろ語が話されてるかと思うと、うっとりしてしまうわけですねー。