萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

44歳高卒未経験のハローワークその10「ようやく見えてきたもの」

2017年6月に入り、だいぶ焦って来た。なんとなく、5月までには終わらせたいと思っていたから。ひと月半で就活を終わらせようというのは甘いだろうけど、貯金もどんどんなくなっていくので。それまではアルバイトなどはせずに就活だけしてたけど、そろそろプランBについて考え出さなくてはいけなくなった。佐賀に残って、バイトで少しでも収入を得ながら、家賃のかからない実家で過ごしてボランティアなどで経験を積む方法も考えた。でもやっぱり実家にはいたくない。だからなんとか東京(もしくは車のいらないとこ)に出る方向で考えた。とにかく行ってしまって、アルバイトか何かやって、怪しいかもだけどカウンセラーの会社に登録しようと。そう、腹をくくった。

安全運転講習のやつは、他の応募も待ちたいと言っていたのが6月アタマまでだったのと、就活を進めるうちにいろいろと方向が見えてきたのとで、辞退の電話をした。

全国に網を広げても東京以外ではなかなか求人が見つからなかったが、ようやく福岡でひとつ見つかった。またも某ハローワーク。応募した。

ところでいろいろと求人を探して応募できそうなところに応募していくうち、僕は引きこもり支援に興味あるのかなあという気持ちになってきた(最終的にはそういう仕事には就かなかったけど)。そこでそういう本も読んで勉強をした。元妻が斎藤環を好きでなかった(と記憶している)ので読んだことなかった斎藤環の『社会的ひきこもり』などを読んだ。そして本を読んで興味を持ったNPO法人育て上げネットの人が書いた本を何冊か読み、だいぶ感銘を受けた。理事長が大学を中退してアメリカに留学してることを知り、ここだったら僕の経歴を面白がってくれないかなあとも思った。

6月3日。育て上げネットにWeb応募。すると数時間のうちに面接の連絡のメールが来た。このスピード感に感動して、もし受かったら僕もスピード感を持って仕事するように心がけようと思った。

面接は6月7日に決まったがそれまでの間も求人を検索していた。やはり運転免許が必要だったり短大卒以上が条件だったりで、なかなか求人が見つからない。臨床心理士が必要な求人の時給がえらい低くて、ビジネスが下手なんだろうなあとか思ったりもした。

そういえばコネについて。大学は途中で辞めたし、仕事はある意味途中で投げ出した訳だから、このへんのコネは使えない。高校のときの同級生で医者になってるやつは多いから、一応と思ってFacebookのプロフを丹念に見て、カウンセラーにつながりそうな人たちの名前をメモっていった。あとは高校の友達以外でも、たとえば知り合った当時学生だったりで、何の仕事してるか知らないFacebookの友達に職業を聞いてみたりした。結局は医療業界にいるけど医者ではない友達に、なんかカウンセラー的な仕事を知らないか聞いてみたのが唯一のコネを頼った就活だった。結局はちょっと僕の求めているのとは違ったので、教えてもらったのは残念ながら活かせなかったけれど。

44歳高卒未経験のハローワークその9「応募すらできなくなってくる」

2017年5月8日。とあるNPOにWeb応募。すると一週間以内に履歴書を送れとメールが来たので急いでAmazonでそのNPOの本を買って読んだ(泥縄)。そしてギリギリの期限で出した。しかしほぼひと月経っても返事がなく、「お返事いただけていないのですが」的な電話をしたら次の日にお祈りメールが来た。また落ちたわけだ。ところで「お祈りメール」と呼ばれて揶揄されるけど、お祈りしなかったらそれはそれで怒られるだろうし、なかなか難しいもんですね採用する側も。

5月16日。数日前に千葉の某ハローワークの相談員の求人を見つけてたので、応募書類を書いてヤングハローワークで申し込もうとしたらすでに募集が終わってた。ハローワークの職業相談員は終わるのが早いらしい。特に年度末の求人ではなく、こういう時期の求人はイレギュラーなやつだから、定員も少ないと。そしてもうひとつの引きこもり支援関連のNPOは「今朝面接してその人に決まったんですよね~」とのことだった。応募すらできなくなってきて参った。

少し間が空いて23日にまた応募活動。この頃、さっき書いた「引きこもり」や「摂食障害」もキーワードに入れ始める。網走刑務所の募集を見つけたが資格的に無理で残念。先日とは別の千葉の某ハローワーク、引きこもり支援、放課後等デイサービス、子供向けのプログラミング教室の指導員、の4つに応募。放課後等デイサービス以外はまたも書類で落ちた。

5月26日。待ってる間に東京の某ハローワークに応募した。そしてようやく面接ということになった。ただ、面接ということになってはじめて募集職種が「職業相談員」ではなく「求人者支援員」だということが気になり出し、調べてみた(またも泥縄)。すると、求人者支援員は相談業務ではなく、企業への求人開拓をするのが仕事だった。しかしいまさらいろいろ言っても仕方ないので、5月31日、飛行機で東京へ飛んだ。初めての就活の面接に少し緊張しながらも手応えを感じてたらあっさり落ちた。書類だけで落ちるより納得できるような、わざわざ東京までの旅費やホテル代を出して落ちるのも切ないような、アンビバレントな気持ちになった。まあでも、面接の練習にはなった。

5月27日。若者の就労支援のNPOへ応募。応募時に小論文の提出を求められたので、前に精神対話士のレポートを書くとき用に買った『1分間小論文』の8段落構成のテンプレートを使って書いた。やはり書類で落ちた。

5月31日。前日に放課後等デイサービスの会社から「明日面接どうですか?」と言われていたので、ちょうど東京にいる間に面接を入れてくれてラッキーだなと、東京の某ハローワークの面接のあとにこちらの面接も受けた。わりと好感触で、でも自分の感触なんか当てにならないので期待はしていなかったんだけど、後日ひとりで居酒屋で酒を飲んでいるときに電話がかかってきて「もう少し話が聞きたい」となった。少し長めに話した。「佐賀からわざわざ来てもらって二次面接というのも申し訳ないので」ということで、電話で二次面接をしてくれた形だった。いろいろ話したあと、「なぜうちに応募したんですか?」と聞かれ、「僕の条件だと他に応募できるところがなかった」ということも、わりと正直に伝えた。ただ、最初の面接のとき、オレンジ色のユニフォームがいかにもだなあと思ったのと、面接で「でも福祉業界はご存知のように~」みたいな話になり、「あれ?僕は福祉業界に行くの?」と思ったりしてた(福祉業界は何となく自分がやっていける気がしない)ので、少し迷いも感じてきた。

44歳高卒未経験のハローワークその8「応募書類の直し方」

ヤングハローワークに行って、履歴書や職務経歴書を添削してもらった。そしたらいろいろ注意を受けた。

  • 西暦はダメ。和暦で(右翼かよ)
  • 字が汚い。ていねいに書くことはできるはず(そんなのできる人の意見だろ)
  • 東大のことは目立たぬように。いまから向かおうとしてる業界は、以前いたIT業界のベンチャーなんかと違ってそういうことを面白がってはくれない(なるほど)
  • いままでの経験は基本的に役に立たないから、それよりも資格の勉強とかボランティアとかで得たことがどう仕事に役立てられるか書くこと(たしかに)
  • あれもこれも書くのではなく、これができますというのをバシッと書くこと(なるほど)
  • 応募先に合致するものを強調すること(なるほど)
  • 郷に入っては郷に従えだよ(まあそうですよね)
  • あなたの職務経歴書は読み応えがあって人となりは良くわかるんだけど、「じゃあうちで働いてもらおう」とはならない(さっきの強調の問題ですかね)

字が汚いのは仕方ない(それでもヤングハローワークで受けた美文字セミナーで改善された)し、履歴書全部手書きとか疲れるし、間違えたら最初から書き直しとかアホっぽいから、今後はPCで入力することにした。フォーマットはネットで拾ったマイナビかなんかの。しかし、丁寧に書いたら変わるような「字の汚さ」のようなものに、どうやって人柄が出るんだろう。字を見て人柄がわかるなら人事部辞めて占い師にでもなれや。などと思いつつ、ヤングハローワークの人の残りの指摘は履歴書の書き方の本にも書いてあったなと思ったりもした。でも実際に書いたものを見てもらって直接いろいろ言ってもらえるのは本当に役に立った。ありがとうヤングハローワークの人。履歴書のこと以外では、未経験だとやっぱりなかなか難しいから、ボランティアとかで経験を積むと良いかもしれないと言われた。検索するときは「カウンセラー」だけではなく「相談員」もキーワードに入れてみると良いという話も教わった。

職業興味検査で出てきた結果についてもいろいろ検索して調べた。僕はAESだった。暗号みたいだなと思った(そういう暗号方式があるのです)。芸術的・企業的・社会的なものが強いと出たわけだった。ちなみにカウンセラーはSEAらしかった。海のような広い心が必要なのかもしれない。

44歳高卒未経験のハローワークその7「落ちる。ぽこぽこ落ちる」

結果を待ちながらも次の仕事を探して応募をしていた。今度は安全運転講習のカウンセリングをする係と、クリニックでのカウンセラー。「免許持ってないのに安全運転講習なあ」とも思ったけど、高卒未経験だと条件に合うものがあまりない。「私は運転免許を持っておりません。自分には合わないと思い、教習の途中で免許を取らないことを選択しました。逆に、この安全を重く考える姿勢が(略)」みたいな話で進めてみたんだけど、履歴書を送った段階で、「もう少し応募が来るのを待ちたいから保留で」ということになった。クリニックの方は書類で落ちた。

ちなみに落とすにしても丁寧な文面を送ってくれるところもあれば、封筒に差出人の名前さえ書いていないところもある。受ける側にいろいろ求めるならお前らもちゃんとやれとパソナの某部署の人には思った。

このご時世では当然なのかもしれないけれど、幸先悪くぽこぽこ落ちるので、ハローワーク以外でも少し調べてみた。やはり資格も経験もないのはなかなかつらい。それでもできそうな仕事が、カウンセリングのお仕事紹介を集めたサイトには載っていた。でも、怪しさ満載なのが多かった。登録料だけ取られそうだったり、研修と称して高いテキスト買わされそうだったり。調べたわけではないけど。だからこれについては、どうしようもなくなったときにもう一度考えることにした(進めながら、20件落ちたらフルタイムの仕事は諦めて、パートタイムの仕事を探そうと思ってた)。しっかりしてそうな母体のところでの未経験カウンセラーの募集もあったけど、そこで採用してるのがNLP神経言語プログラミング)だったので、NLP自己啓発臭が苦手な僕は見送った(とか言いつつ一応図書館でNLPの本も借りた。結局読んでないけど)。カウンセリングBARも試みは面白そうなんだけど意識高い感じがして調べるのを途中でやめた。少年院でのカウンセリングの仕事もあったけど月3日くらいだったので断念。産業カウンセラー協会東京支部のカウンセラー業務についても問い合わせたが「食えませんよ」的な返事だった(まあ知ってた)。

44歳高卒未経験のハローワークその6「初めての就活」

僕は大学を中退してアルバイトとして出版社に入り、そのまま契約社員を経て正社員になったので、いわゆる普通の就活をするのは今回が初めてである。

最初に挑戦したのは、ネットで調べたら見つかった大学のキャリアカウンセリングの仕事。派遣会社の仕事のようだった。Web応募してみたところ電話がかかってきて、「東京の仕事だけど佐賀に住んでて大丈夫なの?」みたいなことを聞かれた。「引っ越すから大丈夫です」と答えた。はじめのうちは「職務経歴書のフォーマットを送ります」とか、「近いうちにこちらで面接させてもらいます」とか、そういうことを言われてたんだけど、そのうち「あなたに紹介できるお仕事はありません」となり就活さえさせてもらえないままに終わった(なのでこの件は就活のカウントに入れてない)。やはり44歳高卒未経験には就活なんて難しかったのかもしれないと思った。ちなみに他の転職サイトもいままでの経歴からIT系の仕事は紹介してくれるけど、僕がやりたい仕事は全然出てこない。転職エージェントはたしか全部断られたような覚えがある。

さて、ネットでいろいろ検索していると、求人ボックスというサイトと、Indeedというサイトがよくヒットした。Indeedは使いにくかったので求人ボックスを主に利用していた。産業カウンセラーなどのキーワードで検索、高卒でも大丈夫で、未経験でも大丈夫で、という風に減らしていくと、求人があんまり残らない。いまから思うと、いろいろ出てきても迷うだけだろうから絞られて良かったんだけど、やっぱり就活してる間は緊張してた。僕がやれる仕事は見つかるんだろうかと。応募には履歴書なんかも書く時間がいるから、検索作業をできるのはだいたい3日に1回くらいだったのだけど、だんだん新しいものがヒットしなくなるのだ。

ちなみに求人ボックスで出てくる仕事は、僕が指定した条件だとハローワークで紹介されている仕事が多かったので、結局は直接ハローワークのサイトで調べてた(求人ボックスの新着情報メールはずっと登録して参考にしてた)。最初は東京の求人を調べてたけど、だんだんなくなっていったので全国で調べようとした。でも普通はそんなことする人いないのか、5ヶ所までしか都道府県を指定できなかった。おかげで「北海道、宮城、石川、愛知、広島」「埼玉、千葉、東京、神奈川、愛媛」「京都、大阪、福岡、熊本、鹿児島」「沖縄、兵庫、海外」という4回に分けて検索しなくてはいけなかった。キーワードも「産業カウンセラー」のみを調べていたけど、そのうち「引きこもり」「摂食障害」「不登校」「思春期」などがキーワードとして加わった。

2017年4月18日、初めてもらってきたハローワークの求人票をもとに、若者向けの電話での就職相談員、Iターンの相談員、キャリアカウンセリング業務、の3つに応募。会社経営を退いて自分を見つめ直したらカウンセラーに挑戦してみたくなったこと、ネット等で若い人と交流してることを書いた。3つともサクっと書類で落ちた。

44歳高卒未経験のハローワークその5「ホップとステップ」

2017年3月いっぱいまではカウンセリングの仕事についていろいろ本を読んだりして勉強した。あとは、いろいろイメージを明確にするため、というよりはなんとなく不安だったからというか、始めたいけど始めるのは怖い就活への時間稼ぎとして、キャリアカウンセリングを受けてみた。

無料のものと有料のものとどちらも受けようと思い、ハローワーク佐賀のキャリアカウンセリングと、名前忘れちゃったけど博多のキャリアカウンセリングを受けた。

ハローワークは、キャリアカウンセリングを担当するのが前の無能な相談員だったら「この人は能力ないので別の人にしてください」と言おうと思い心の中で何度も何度も練習して行ったら違う人だった。で、カウンセリング、できれば若い人を応援するような仕事をしたいという話をしたところ、民間で仕事を探すのはなかなか難しいから、参加してみたいことをやってる役所を調べて、そこの事業を実際に受けているNPO法人なんかを探してみると良いと言われた。あとは、佐賀でカウンセリングの仕事をすることと、東京でカウンセリングの仕事をすることの違いについても話をした。田舎だとまだやっぱりカウンセリングを受けるのに抵抗もあるから、自分からお客さんを探しに行く必要があるよね、など。僕は東京に戻りたかったので、そういう話もしたのだ。そしてこのキャリアカウンセリングでとても大きかったのが、ヤングハローワークの存在を教えてもらったことだった。

僕はその時点で43歳で、まさか自分がヤングだとは思ってなかったのだけど、佐賀のヤングハローワークは45歳未満が対象らしい(自治体によって違う)。つまり僕はヤングだったのだ。そのカウンセラーさんが4月からそこに異動になるということで、もしキャリアカウンセリングの続きをしたかったらそっちに来てみてと言われた。

結果から言うとこれが大正解で、ハローワーク佐賀のあの受付の感じ悪さや相談員の無能さを思うと驚きしかなかったのだけど、ヤングハローワークはすごーく感じが良かった。若者たちが羨ましくなった。ハローワーク渋谷で受けれなかった職業興味検査も受けれた。ちなみに検査結果として出た一番オススメの職業はユーモア作家だった(なんだそれ)。

もうひとつの、有料の方のキャリアカウンセリングでは、ハローワークの職業相談員なら未経験でもできるし、それに挑戦してみてはと言われた。担当のカウンセラーさんが産業カウンセラーの資格を持ってる人で、そのあたりの役に立つ話もいろいろ聞けた。

4月になったら実際に就活を始めるつもりだったけど、やはり実際に動くとなると緊張してしまい、結局動けたのは4月13日だった。

44歳高卒未経験のハローワークその4「試験を受けちゃうぜ」

2017年になった。1月22日、産業カウンセラーの学科試験を受けた。特に労働法に関して最新の情勢が試験に出ていて、「うわ、そんなの聞いてねえし」とか思った。過去問だけじゃなくて時事的なことも勉強しとくんだった、と。ただ、試験中に自己採点したときは何とかなりそうな感じではあったので、少しだけ心の中に光明が灯った。

2月、今度は精神対話士の面接試験。ここに来るまで、何度かレポートを書いて提出していた。レポートの内容が及第点で、精神対話士としての派遣を希望する人は、面接を受けることになっていたのだ。これが決まれば仕事をもらえるから、新しくスーツまで買って臨んだ。ちなみにスーツは2着目10円みたいな制度で買ったら値段をちゃんと見てなかった方の2着目が高くて、つまり結局のところけっこうな値段がして悲しかった。

面接では、精神対話士として大事なこととか、職場でメンタルを崩してる人がいたらどうするか、などが聞かれた。あとはキューブラー=ロスの、死の受容の5段階を全部言わされた。「筆記じゃなくて面接でそんな細かいこと聞くの?」という感じだった。たしか4つまでしか言えなかった。でも、集団面接のほかの人たちには、まったく言えない人もいた。

結果的には精神対話士の試験には落ちた。なんで落ちたか謎な気持ちだったんだけど、スーツは着たもののメガネがオレンジだったことか、個人面接で「なぜ精神対話士になろうと思いましたか?」と聞かれて、「悲しんでいる人を助けたいと思いました」とかじゃなくて「ビジネスモデルが面白いと思いました」と答えたのがいけなかったのかもしれない。でも、いまとなっては受からなくて良かったと思う。そして、よくよくサイトなどを見てみたら、面接試験の合格率は15%程度で、「自分らが受けさせた講座の15%しか雇えないってその講座の意味は何?」とか思ったし、やたら低い合格率とすぐに仕事がもらえそうな感じ、ただの資格商法だったのかもしれない。有名人が「私が推薦しています」みたいに言ってる画像もいま考えると胡散臭い。そして一番残念だったのは、カウンセリング実習がほとんどなかったこと。講座の案内にスケジュールは出てたからわかっていたことではあるけど。何度かロールプレイ(患者役・クライアント役・観察者の3役に分かれて架空の設定で実際にやってみること、かな)はしたものの、指導員はそれを見回ってるだけで直接の指導は一度もされなかった(少なくとも僕は)。そしてもうひとつ。今回就活してて、ハローワークの人もカウンセリングとか相談の仕事してる人も、誰も精神対話士という資格を知らなかった。ただの教養講座を受けたと思えば、ホスピスの話とか、人間だけが持つ白目というものの進化の話とか、興味深いものもいくつかあったけど、大東亜戦争がどうのこうのという話を延々としてる名誉教授がいたり、全体的にはリタイアした人たちの金づるみたいな印象だった。

2017年3月1日、産業カウンセラーの合格通知が届いた。いけるかなとは思ってたけどちゃんと合格できて、だいぶホッとした。