萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

44歳高卒未経験のハローワークその9「応募すらできなくなってくる」

2017年5月8日。とあるNPOにWeb応募。すると一週間以内に履歴書を送れとメールが来たので急いでAmazonでそのNPOの本を買って読んだ(泥縄)。そしてギリギリの期限で出した。しかしほぼひと月経っても返事がなく、「お返事いただけていないのですが」的な電話をしたら次の日にお祈りメールが来た。また落ちたわけだ。ところで「お祈りメール」と呼ばれて揶揄されるけど、お祈りしなかったらそれはそれで怒られるだろうし、なかなか難しいもんですね採用する側も。

5月16日。数日前に千葉の某ハローワークの相談員の求人を見つけてたので、応募書類を書いてヤングハローワークで申し込もうとしたらすでに募集が終わってた。ハローワークの職業相談員は終わるのが早いらしい。特に年度末の求人ではなく、こういう時期の求人はイレギュラーなやつだから、定員も少ないと。そしてもうひとつの引きこもり支援関連のNPOは「今朝面接してその人に決まったんですよね~」とのことだった。応募すらできなくなってきて参った。

少し間が空いて23日にまた応募活動。この頃、さっき書いた「引きこもり」や「摂食障害」もキーワードに入れ始める。網走刑務所の募集を見つけたが資格的に無理で残念。先日とは別の千葉の某ハローワーク、引きこもり支援、放課後等デイサービス、子供向けのプログラミング教室の指導員、の4つに応募。放課後等デイサービス以外はまたも書類で落ちた。

5月26日。待ってる間に東京の某ハローワークに応募した。そしてようやく面接ということになった。ただ、面接ということになってはじめて募集職種が「職業相談員」ではなく「求人者支援員」だということが気になり出し、調べてみた(またも泥縄)。すると、求人者支援員は相談業務ではなく、企業への求人開拓をするのが仕事だった。しかしいまさらいろいろ言っても仕方ないので、5月31日、飛行機で東京へ飛んだ。初めての就活の面接に少し緊張しながらも手応えを感じてたらあっさり落ちた。書類だけで落ちるより納得できるような、わざわざ東京までの旅費やホテル代を出して落ちるのも切ないような、アンビバレントな気持ちになった。まあでも、面接の練習にはなった。

5月27日。若者の就労支援のNPOへ応募。応募時に小論文の提出を求められたので、前に精神対話士のレポートを書くとき用に買った『1分間小論文』の8段落構成のテンプレートを使って書いた。やはり書類で落ちた。

5月31日。前日に放課後等デイサービスの会社から「明日面接どうですか?」と言われていたので、ちょうど東京にいる間に面接を入れてくれてラッキーだなと、東京の某ハローワークの面接のあとにこちらの面接も受けた。わりと好感触で、でも自分の感触なんか当てにならないので期待はしていなかったんだけど、後日ひとりで居酒屋で酒を飲んでいるときに電話がかかってきて「もう少し話が聞きたい」となった。少し長めに話した。「佐賀からわざわざ来てもらって二次面接というのも申し訳ないので」ということで、電話で二次面接をしてくれた形だった。いろいろ話したあと、「なぜうちに応募したんですか?」と聞かれ、「僕の条件だと他に応募できるところがなかった」ということも、わりと正直に伝えた。ただ、最初の面接のとき、オレンジ色のユニフォームがいかにもだなあと思ったのと、面接で「でも福祉業界はご存知のように~」みたいな話になり、「あれ?僕は福祉業界に行くの?」と思ったりしてた(福祉業界は何となく自分がやっていける気がしない)ので、少し迷いも感じてきた。