萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

劇団、本谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

久しぶり、たぶん8年ぶりとかの青山円形劇場。こんなに客席狭かったっけとか思いつつ。ぼーっと開演を待つ。円形だけどやっぱり後ろは潰してあるなあ。なんか舞台全体が花道みたいね。やっぱり上から、ああいう四角い枠吊りたくなるよなあ。円形だもんなあ。でも客席狭いとツラいなー年だなーでも桟敷じゃないだけマシかなー。

とか思ってるうちに暗くなり舞台が始まる。「ふむふむ」とか、「わはは」とか、そう思ってるうちに舞台が終わる。非常に爽やかな再生の物語(と思ったのだけど、うがった見方だと思われてしまうかも)。とても面白かった。いままで何だか機会がなくて見れてなかったのだけど、次もまた、見ようと思った。

以下、ちょっとネタバレしつつな感想。


とても面白かったという前提の上で、それでも少し「?」と思ったのは、やっぱりこれまた「萌え」なのかなと。本谷さん世代だとやっぱりそうなっちゃうのかなと。

いろいろと壊れた人が出てきて、それぞれの壊れぶりが展開していき、錯綜したり収斂したりするわけだけれど、壊れ方に関してなんだか既視感を感じてしまい、でもその既視感を楽しんでしまうというか。「あ、今度はその壊れ方で来ましたか」みたいな。ただそれが意図されたことなのか、スレた見方をしようと努力してしまう僕が変態なのか、ちょっと見えなくて困ってしまったりするわけ。と書きながら思ったけど、まあそりゃ、意図してやってるんだろうなあ。本谷さん賢い人だからな。という言われ方、本人的には、言われたいけれどいざ実際に言われると泣きたくなる、みたいな感じですかね(勝手に想像←ちょっと変態)。

えーと。あとね。この物語の楽しみ方をどこに見出せば良いのかも、いまいち不安で。僕としては、長男の嫁の人の演技が最高で、かつ、そのあまり賢いバカぶりが、すごくまぶしいやらカッコ良いやらで、もう辛抱たまらんと。

あ、感想だから、見てない人には、ちんぷんかんぷんな内容かもしれないけれど、まあそこはそれってことで。

で。なんだっけ。そう。楽しみ方の話。「普通じゃイヤだ」とか「普通であることのラクさ加減」とか「苦しんだからって幸せになれるとは限らない」とか、そのあたりに楽しみ方というか落としどころというか着地点があるのかなという気がしつつも、なんだかこう、いろんな意味でカタログ的な感じがしまして。いくつか見せてあげたからあとはアナタたちが好きなの選んでみたいな。あえて、というかわざとつなげて説明すると、マルチエンディングな感じですかなあ。

それと、そうそう。本谷さんがチョイ役で出ていたのだけど、やはりあのレベルの役者陣の中に入ると、結構見劣りがしてしまった。もっとチョイなら良いと思ったけど。

なんかこう書いてると、偉そうに文句ばっかり言ってるように見えるなー。楽しかったのですがね。

帰り、この舞台の小説版を買おうと思ったのだが限定販売のせいでトイレ行ってる隙に売り切れというか買いたいならトイレぐらい我慢しろという感じ。でも買おうと思っていた『江利子と絶対―本谷有希子文学大全集』を売っていたのでそれを購入。「この若さでこんなことを書けてしまうなんてスゴイ!」的なことがオビに書いてあるのだけれど、背中蹴りたかったり蛇なピアスだったりする現在、まるで年齢にしか価値がないかのようなオビはマイナスだろう編集者もっと働けとか偉そうなことを思いながら家路へと着きました。