萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

卍起卍き卍れ卍な卍い卍

なんか最近おじさんやおばさんほど卍を使うようになって来てるような気がする。関係ないけどこないだ会った、JK時代から知ってるJDに、「怪しいおじさんは絵文字とか顔文字の使い方が怪しいけど、萩原さんの絵文字とか顔文字の使い方はJKだったし、話してみたら頭の中もJKだった」と言われたψ(`∇´)ψちなみに喜んでます( ◠‿◠ )

さて、少しずつ元気を取り戻していて朝の出勤前のお勉強も復活できるかに思えたのも束の間、昨日寝る前に何となくチューハイを飲んでしまったせいか、今朝は全然起きれなかった。いや今朝だけじゃないな。ずっと起きれない感漂うので、まだ元気じゃないんかなあ。まあとにかく、お酒なんか飲んでしまったせいで睡眠の質が下がったのか、9時半の始業に徒歩通勤でギリギリ間に合う8時40分まで寝てましたわ。前の仕事だったら確実に昼に行ってたなこれ。

とか思いながら徒歩出勤していたわけですが、来し方に思いを馳せることにもなりました。

小学校時代

基本的に真面目な子なのでわざとサボったりはしなかったのだけど、小5のときの家庭科の授業でトマトサラダを作る会があり、44歳にもなって人に僕の苦手なものを聞いたらトマトが挙がるような僕にとってその日は恐怖であり、かと言ってストレートにそんなこと言っても休ませてもらえるはずもなく、こっそりとお腹を出して寝て「お腹が痛い」という理由で休んだのだった。

中学校時代

少しずつ自由度を得つつあった僕は、わりと頻繁に「具合が悪い」など適当なことを言って学校を休むようになった。休んだらなぜか近所の日本料理屋の鍋焼きうどんが食べられるという特典があった。親が共働きだったため。まだ毎週日曜しか学校が休みじゃなかった頃に、同級生から「週休2日」とか呼ばれるようなこともあった。ちなみに休んで何をしてたかというと学校の勉強じゃなく自分の受験用の勉強だった。嫌な子供だ。

高校時代

生来は真面目なので高1のときのバスケの授業で捻挫して早退するまでは皆勤賞だった。でも一度堕ちるとどこまでも。というわけでもないんだけど、朝まで本を読んだりして眠くなったら「風邪引きました」とか言って学校休んで寝てた。特に3年生になって寮を出されて下宿になってからは(うちの高校はそういうシステムだったんです)それが顕著だった。同じくよく学校を休むNと、席が前後してたんだけど、週に1度しか顔を合わせないこともあった。卒業アルバムでは、登山がめんどかったんで「体調悪いです」とか言って麓にいた僕と、そのNとの写真が、「風邪で登れなかった待機組」的なキャプションで紹介されていた。Nは普通に登ってたのに。偏見は怖い。このNとは卒業して10年以上も経った頃、とある事情で連絡を取りたいと思ったのに連絡先がわからず、困っていた数日後に地下鉄の同じ車両の僕の前の席に座っていたので声をかけて再会したのだけど、それはまた別のお話。

大学時代

通学に30分以上かかることに耐えられないことに最初は気付いてなかった。小学校は5分だったし中学もたしか10分くらい。高校は敷地内に寮があった。というわけで、そんな無理なことをするわけにもいかず、大学はサボりがちになり、でも芝居やってたので18時くらいに学校行ったりして、まあ、なんか適当でした。一番大学に行ってなかったころは、いいともを見て寝て、夕方に起きてパチンコして、みたいな生活をしてた気がするなあ。ひどい。

編集者時代

締切前はわりと自由にできる職業なので、一週間くらい休んでRPGやってたりしたような覚えもある。作家さんとの打ち合わせで遅れるとか、直行直帰とか、いろんな技が使えた。編集部の引越しの日になんか寝坊して17時くらいに会社に行ったら上司が僕の荷物を移動してくれてたことがある。ごめんなさい。

IT社長時代

編集者のころからの流れで11時始業だったこともあり、あまり寝坊することもなかった。というのは嘘で、何時始業でも人というものは寝坊するのである。でも怒られない立場というものはよくないもので、堕落していくよね。というのは半分嘘で、社員に怒られるんだけど。でも打ち合わせでもなかったら、寝坊したら電話して遅刻すると言ってから二度寝してたと思う。朝9時半から打ち合わせとかあるときはもう緊張で眠れなさそうになったりしてた。で、そうこうしているうちにうつになり、別の意味で起きれなくなって、朝起きれない→「少し遅れます」とメール→でも起きれない→「ごめんなさい、夕方に行きます」とメール→それでも起きれない→「本当に悪いんだけど今日はこのまま休みます」とメール、なんて日が、最後の方は週に5日くらいあったような覚えがある。

都落ち時代

最初はずっと寝てた。24時間寝たりとかもしてた。後半、起きれるようになってからは、かわいい店員さんに会うために毎日JR佐賀駅シアトルズベストコーヒーに行ってた。かわいい店員さんがひとりしかいなかったらその子のシフトの関係で起きれたり起きれなかったりしたと思うけどかわいい店員さんだらけだったから行くと誰かしらかわいい店員さんがいた。ありがとう。

ユースコーディネーター時代

そして、いまの話である。そんな僕もいまだ無遅刻無欠席だ。こんな風に僕を変えてくれたのはジブリールパワーストーンのおかげ、とかではなく、職住近接なせいでしょうね。あとは都落ちのころの産業カウンセラーの養成講座に通ってたときになんとなく習慣化した、「始まる1時間前に近くの喫茶店(ちなみにこれはミスドが多かった)に行って予習する」というのを、転職してからも続けるたからかも。これは、遅刻するのが怖いからやってるって面もある。最近、できてない日も増えてるから危ないけどね。

こうやって見るといま遅刻してないのってホント奇跡。明日も奇跡が起こりますように。

不眠症がひどかった頃の話とかはうまく入れられなかったな。

以下は昨日の写真です。

https://www.instagram.com/p/Beoe97xAZK_/
少しずつ元気が戻って来たので、朝のお勉強も、できるような、気がしないではない。ような気がする。