萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

44歳高卒未経験のハローワークその1「都落ちと引きこもり」

いつもは日記として日々のことを中心に書いてるけど今回は2ヶ月前までの就活のことを書いてみる。全12回と長いです。

就活開始当時のスペック。

44歳男。独身。離婚歴あり。子なし。2004年以来うつ病の治療中。佐賀住み。東京大学文科I類中退。いままでの経験はコンピュータ雑誌の編集者が3年半、Web系のプログラミングなどの会社経営が約20年。持ってる資格は産業カウンセラーと中3のときに取った英検2級のみ。運転免許は教習所の最後の方で「やっぱ向いてない(つまり人を殺しそう)」と思ってやめた。できれば東京で仕事したいけれど車がいらなさそうな都会ならそれでもいい。

2014年12月1日、41歳のときに、20年ほど前に作った会社を辞めたい話を顧問弁護士さんたちにした。社員たちにはその次の日の会議のときに言った。いろいろあって最終的には会社は無償で譲ることになった。

当時の日記を読むとこんなことが書いてある。「死ぬことをリアルに考えるがやはり怖い。どうしたらいいんだろう逃げたいのに」「なにもやりたくない、なにも楽しくない。こんなんでやっていける気がしない」「新しい技術や最新のキーワードを見ると、興味を持つより先に怯えてしまう」「吐き気」「辞めて休んでもうつ病が治らなかったらどうしようと少し思う」「いろんな人の頑張りが光線のように襲って来てつらい。僕はもう頑張れない」「心が折れちゃった」「八方塞がりで途方に暮れていてもう死にたいけどきっと明日ものうのうと生きているんだろう」「なんで僕はこんなにダメになっちゃったんだろう。そのせいでいろんな人に迷惑かけてる。本当につらい」などなど。我ながら泣けてくる(ちょっと引用しすぎたけど)。そしていまはこんな風に思わないので、復活することってできるんだなあと思う。

社員に話したあと、実家の父と、母が入院してから実家に家族ごと住んでくれてる妹に、家に帰りたい話をした。念のため、帰って来るなと言われたときのために東京の安い物件も前もって探しておいた。高尾山口とか。結局帰って来ていいということになり、高校入学で出た佐賀の実家に久しぶりに戻った。都落ちはものすごくものすごく情けなかった。

そのころは日記に、「もう一度働くということに関して自信がない」「調子に乗っては失敗して、を繰り返してる人生だなあ」「社会の動きについていけなくなった」「これからどうやって生きていけばいいのやら」などと書いていた。

入院していた母は都落ちしている間に亡くなった。

実家に戻って数日は甥っ子たちとの団欒があり笑顔も出ていたのだが、気力がないので結局寝るくらいしかすることがなく、そして本を読む元気はその数年前からなくしてしまっており、NHKの朝ドラを見ることと、たまにその他の連ドラを見ること以外は寝ているという生活が続いた。だいたい1年くらい。歩いて2分くらいの自販機に行くのが毎日の目標だったが、一週間連続してそれを達成できることはほとんどなかった。つまり引きこもりである。

それでもSNSはやっていて、ひとりではなかった。便利な時代だと思う。

あるとき、中学生の女の子に紹介された『ぼくは明日 昨日のきみとデートする』という恋愛小説をがんばって読んでみたら、ものすごく面白かった。ものすごく泣いた。そしてまた本を読めるようになったことが嬉しくて、少しずつ本を読むようになった。幸い、図書館が近くにあった。

それから数ヶ月して、Twitterで30代女子の友達が『セラピスト』という本を読んでいるのを見かけた。その友達もうつで苦しんだりしている人だった。いままで、うつになった人の本、治った人の本は読んだことあったけど、治す方の人の本は読んだことがなかった。結果的にこの本を読んだことで僕は動き始めたので、ある意味この本が僕にとってのセラピストだったことになる。