老化という言葉があるがそんなことより大事なのは老感である。
手元の大辞林によるとそんな言葉はないのだが、要するに「年を取ったなと感じること」だ。
感じなければ老化は別に気にもならない。
若い女子の声とおばさんの声が違って聞こえるように僕もだんだんと声が変わってるんだろうけど、よくわからんからどうでもいい。
老感を感じるタイミングはいくつかあった。
本のページをめくるのが難しくなった。
歯の間にモノがつまるようになった。
注射が痛くなくなった。
熱いお湯を我慢できるようになった。
記憶力が落ちた。
ただ、一番「急にやって来る」老感はやはり、ある日突然、本が読めなくなるやつだと思う。
あれ?
と思う。
最初は疲れてるのかなとか思うのだけど、わりとすぐに気付く。
これが噂の老眼か。
視覚情報が優位なヒトという種であるところの僕は、やはり視覚情報の劣化に敏感だと言うことなんだろう。
そして、老眼には老という文字が直接的に入っていてヘコむ。儒教の人ではないので、やはり老いに抵抗があるのでしょう。老眼じゃなくて大人アイとか、エイジド視力とか、なんか電博さん考えてください。
ところで老眼も進行するようだ。
何年か前に持っていたメガネを全部遠近両用にした。おしゃれさんだからメガネを4本も持っていて、つまるところ4倍の金がかかった。
けっこうお金かけたのに、最近はそれをかけてると逆にピントが合わなくなってしまい、結局はメガネをかけなくなってしまった。
いつも使っている自画像は実はメガネをかけてなくて、普段メガネをかけてるのに、自画像にメガネがなくても自然だとよく言われていたが、ついに時代が追いついてしまったのだよ。
友達の当時小学生の娘が描いてくれた僕の似顔絵が緑のメガネだったからそっちに合わせて買った緑のメガネももう出番がない。
結婚式の司会のときに着けてたら僕が司会だと気付かなかった友達から「そんなメガネだから売れない芸人が司会してると思った」と言われたオレンジのメガネももう出番がない。
意外と内側が変色してしまっている白のメガネももう出番がない。
無難なやつも一応買っておくかと思って買った黒縁のメガネももう出番がない。
そのうち僕自身も出番がなくなるのでしょう。
そのときはさようなら。
でも、それまではよろしく。