萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

おわりのはじまり、はじまりのおわり、おわりのおわり、はじまりのはじまり

今日、キャリアコンサルタントの養成講座が終わった。数学教師の副業もやり、全然休みがないような日々を続けてたんで、なかなか大変だった。そして最後の方に向けて、急に実技の練習なんかも下手になってきた気がする。最終日の恐怖の修了試験も72点で、60点以上が合格なんだけど、こんなギリギリでどうすんのって感じ。まあでも、成長痛だと思うことにしてます。

で、講座終わったなあという軽い気持ちで上のタイトルをつけたんだけど、なんか急に、考え込んでしまった。

話は飛ぶけど(そしてすぐに戻るけど)、産業カウンセラーの勉強で一番好きだったのはクランボルツの「計画された偶発性理論」で、大雑把に言うと「いろいろアンテナ立ててると偶然捕まえられるチャンスも増えるよ」みたいな(72点の人の言うことなので鵜呑みにしないでね)。今回のキャリアコンサルタントの勉強で好きだったのは、ブリッジズの転機に関する理論。これまた大雑把に言うと「転機というのは何かが始まるときではなく何かが終わるときに始まる」みたいな。

そこで思ったのが、「おわり」をちゃんと「おわり」にしないと、「はじまり」が「はじまらない」な、とか。失恋とかきっとそうだよね。あとたぶん、振る方も。もちろん犯罪まで至るのは問題外だとしても、うまく振らないことで、つまり「おわり」をきちんと「おわらせなかった」ことで、面倒なこと(ストーカー的なことね)を生む場合もあるんだろうなあと。まあ、合意取るの難しそうだけど、それをサボってる人も、多いような気がする。

もうひとつ、思ったことが。

キャリアコンサルタントには実技試験があり、キャリア面談を1対1で行って、それに対して評価など下されるわけだけど、今日は帰りながら、「仕事の面談より大変だよなあ。だって仕事の方はチームでの支援だから、ある面談で良くない点があっても、他の人に相談したりしてやっていけるもんなあ」と思ってた。けど、このタイトルを眺めながら、なんて甘えたこと考えたんだろうなあとか思った。すべての面談は毎回「はじまりのはじまり」から「おわりのおわり」へと向かうんだよなと。お茶で言うところの一期一会というか。ヌルい面談をしたら、相手がまた次も来てくれるとは限らないし、もっと良くないことには、悪影響を与える可能性もあるわけで。チームでの支援は、あくまで個々の一期一会の面談をきちんとやった上で、質を向上するためのものなのかなあと。

ま、そんなことを思いました。

講座と数学教師が終わったら急に予定が何もなくなった。

複数の友達と、やりとりがアレな感じだ。おわりのはじまりを予感させる。

https://www.instagram.com/p/BgLmmaTHf9I/
キャリアコンサルタントの養成講座が終わったので「飲むぞ〜」というか「こういうときは飲んだりするといいのかなあ」と思い「よーしパパほろよいを5本飲んじゃうぞ〜」とか思ってたら3本しか売ってなかったしそもそもパパじゃなかった。#ほろよいは白

まったく関係ないけど、3.11の地震を思って以前作った曲を貼っておきます。前触れってけっこうあったんだなあとか。何かできることなかったのかなあとか。でもそれって後知恵なんだろうなあとか。あの瞬間以来、本当に世界が変わったかのように鳴り続けるなとか。いろいろ思います。


March 2011