萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

44歳高卒未経験のハローワークその3「なぜか激動の10月」

2016年10月に入り、Twitter友達のJKの恋の応援でお百度参りをすることにした。正式のお百度参りは、境内の入口から本堂まで100回連続で往復してお参りするみたいだけど、迷信に正式も何もないかなということで、100日連続で近所の神社にお参りすることにした。僕が通った保育園の隣にある神社だったので、いろいろ懐かしくなったり悲しくなったりした(こんな風になって戻って来ちゃってごめんなさい、みたいな)。お百度参りは少なくとも100日の間、毎日外に出るきっかけを作ってくれた。くじけそうにもなったけど、友達のためだと思うとがんばれた。

同じ10月、精神対話士の講座にも申し込み通い出した。産業カウンセラーかぶる日もあったけれど、同じような複数の講座を受けることで、理解を深めようと思った。

さらに同じ10月。就労へのイメージを深めようと思い、もう一度ハローワークに行ってみた。今度は地元佐賀のハローワーク。しかしそれは最悪の体験だった。まず受付の人の印象が悪い。めんどくさそうな、なんでお前らこんなとこ来てんだよみたいな、そんな表情。こちらはある意味弱い立場としてここに来てるのでそういう顔をするヤツが受付やるなと思う。少し待ったあと、担当の相談員に渋谷のハローワークで話したようなことを話す。すると「そんなのネットで調べればいいんじゃないですかねえ」とか言われる。ものすごく頭に来た。それやってわかるくらいならこんなとこ来ねえよ。しばらく話を聞いてたけどやはり我慢できなかったので「あなたの話はまったく参考にならない」と言って5分ほどで帰った。謝罪の留守電は入ってたが知るかと思った。

あとで実際にハローワークで職業相談員をしてる人に聞いたら、あってはならないことだけど、相談員によってレベルが違うのよねと言っていた。初めてハローワークに行った渋谷でこの対応だったら、たぶん僕はまだ実家の佐賀で寝込んでると思う。運が良かった。相談員のレベルの違いもあるだろうし、その人との相性もあるから、ハローワークで全然ダメな相談員に当たった人は相談員を変えると良いと思う。僕が渋谷のハローワークに行ったことからもわかるように、全国のハローワークはどこでも利用可能なので、いろいろ行ってみて合う相談員を探すのも良いかもしれない。

そしてこれまた同じく10月。JR佐賀駅の飲食店が数店リニューアルし、シアトルズベストコーヒーというスタバのパクリみたいなカフェができた。そしてここの店員さんがものすごくかわいかった(こんな話でごめんなさい)。数年前に大きな失恋をしたので(離婚とはまた別)、自分にまだ誰かをかわいいと思う機能が残ってたことに驚きを隠せなかった。このお店はその店員さんだけではなくかわいい店員さんが多く、男子たちも感じのいい人が多かったので、ほぼ毎日通ってた。ちなみに博多駅熊本駅シアトルズベストコーヒーにも行ってみたけれど、JR佐賀店が一番店員さんがかわいい。というかなんでこんなにかわいい店員さんたちが揃っているのか謎だ。地元愛がない僕だけど、シアトルズベストコーヒーJR佐賀駅店だけは誇りに思います(何の話をしているのだろう)。さておき、ここには電源があるってのも通った理由としては大きかったけど、おかけで、1年前は引きこもりだった僕が、毎日本を読むために家を出れるようになったのである。かわいいは偉大だ。

ところで、いい歳した大人が、特に男が平日の昼間からフラフラしてると変な目で見られるという話がある。田舎ならなおさら、と。しかし、覚悟はしていたのだが、僕はそういう視線を一度も感じたことがなかった。ご近所さんの「萩原さんところの息子さん、東京で会社作ってたのにうまくいかなくなって帰って来たらしいわよ。親にしてみれば昔は自慢の息子だったのに哀れなもんね~」みたいな噂話も聞いたことがない(まあ本人には言わないか)。僕がたまたまそういうことに関して鈍感なのかもしれないけれど、黄色とかオレンジとか派手な色の服着たり、ずっと本を読んだりしてると、なんか、小説家とかそういうカタギではない仕事の人だと思われるらしい(何人かの店員さんに言われたことがある)。いつも思うのだけど、そしてこれ繋がってないように聞こえるかもしれないけど、やはりバカのふりをするのは大事だ。ふりじゃなくてもいいかもしれない。

さらにさらに10月、産業カウンセラーの講座が終わった。来年の1月の試験に向けてアホみたいに勉強した。実技については講座での成績により試験免除してもらってたので、受けるのは筆記だけだった。しかし心理の部分だけではなく労働法や組織論など、なかなか範囲が広くて大変だった。さくいんに出てた言葉を全てノートの左側に書き、右側にはその解説を書いて、自分でクイズみたいにして何度も何度も繰り返し勉強した。こんなに勉強したのは大学受験のとき以来だと思う。

12月には精神対話士の講座も終わった。