萩萩日記

世界に5人くらい存在するかもしれない僕のファンとドッペルゲンガーに送る日記

これ、古いです。書き直してない。

いえーい。




このブログではなくて僕について。

萩原佳明(はぎはらよしあき)

1973年3月31日佐賀県佐賀市生まれ。早生まれのせいかうだつが上がらず泣き虫なだけの子供だった。保育園時代に「おかあさんのえ」を緑色で描いてしまい保育士さんたちを引かせてしまって以来美術に苦手意識がある。小学校4年生のとき25メートルを泳ぎ切ったことで何かのスイッチが入ったのか、お勉強が好きになり自我もようやく芽生え始める。しかしテストのあとの友達の「どうだった?」に曖昧な笑みで答える方法を覚えなくてはならなかったり、クラスでシカトされることが何度かあったり、まあまあ切ない子供時代だった。

中学生のときに入った進学塾の肌が合ったのか、ラ・サール高校東京大学文科I類と現役合格し、いわゆる「エリート街道」を進みかける。しかし法学の授業で習った冤罪について「レトリックで人の人生を左右するのは自分には無理」と思い、小学校5年生のときいとこに「成績いいから弁護士とか目指せば?」と言われて以来その気になっていた弁護士の道に進むのを辞める。弁理士などの他の道も一瞬模索するが、「キャッチーで面白い」という理由で東大を中退

大学時代は高校のころに始めた音楽も並行して行っており、ちょうどそのころ一般にも普及し始めたCD-ROMを秋葉原で見たことで「ゲーム音楽のありかたが変わるかもしれない」と思い株式会社スクウェア(現株式会社スクウェア・エニックス)と日本ファルコム株式会社に応募。サクっと落ちる。反省して『面接の達人』などを読んでいたころにたまたま見たパソコン雑誌『ログイン』で音楽を作る人を募集していたのを見かけ応募、株式会社アスキーにアルバイトとして入社する。『TECH Win』の創刊などかかわり、音楽も作りつつ編集者とプログラマを勤める

アスキーに入ってから3年半後の1997年、好きでやったわけではない編集者の仕事に疲れたのか、大した脈略もなく独立し有限会社プラスワンデジタルを設立。人とのつながりだけで仕事を頂き、その中でLinuxやデータベースの知識、IT系の人脈を得る。

2004年、同い年のホリエモンが球団を買おうとしているニュースを見て「僕には球団は買えない」と急に落ち込みうつ病を発症。診断名を双極性障害に変え、現在も通院中。

2012年、離婚。高校生のころ演劇部どうしの交流で知り合って23歳のとき結婚した相手だった。子供はいなかった。

2015年、20年近く続けた会社経営について遅まきながら「やっぱり僕には向いてなかった」とギブアップ都落ちをする。

以前何度か見た傍聴で「若い頃にチャンスを奪われている人」を見て「若い人からチャンスを奪ってはいけない」と児童養護施設関連のボランティアをしたことなどを思い出すなど、自分を見つめ直した結果、「若い人の応援をすること」を目指して44歳高卒未経験からの転職活動を行う。そして、現在は地域若者サポートステーションで若者の就労支援の仕事を行っている。

保有資格は中学のときに取った英検2級と、都落ち期間に取った産業カウンセラーのみ(その後キャリアコンサルタントの資格も取りました)。運転免許はあと数回の路上教習で終わるというところで「やっぱり事故を起こしそうで怖い」と免許取得を辞めた。著書に『日本のSEはこれからどうなるのか』『これならわかる不正アクセス対策 入門の入門』がある。仕事の傍ら続けていた音楽活動では、『時刻表の音楽』でタモリ倶楽部への出演経験あり。

趣味は読書。それとネットの友達と会うこと。あとドトール巡り

何かと面白がろうと思って過ごしてます。

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